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代表あいさつ(11.15区庁舎移転条例STOP!区民集会)

本日は平日のお忙しい中、区庁舎移転条例の提出を止める区民集会にご参加いただきまして、 誠にありがとうございます。

112 名の方にご参加いただいた 7 月の決起集会から、3 か月半がたちました。

この間皆様の ご協力により、ポスターは約 1000 枚を区内に掲示。チラシは 2 種類のデザインであわせて 11 万枚を配布。先週新たに 1 万枚増刷したところです。 8 月から始めた街頭宣伝も、すでに 20 回を数えましたが、時には 30名近いボランティ アの方が集まってくださることもあり、またお一人お一人の熱気も凄くて、毎回本当に励ま されています。この場をお借りして、いつも手伝ってくださっている皆さんに改めて感謝を 申し上げたいと思います。

また 40 名いらっしゃる区議会議員の方々のうち、すでに 25 名の方と直接面談させていた だきました。複数回会ってくださった方や、情報交換など様々な点で協力してくださってい る議員さんも何人もいらっしゃいます。街宣に来てくださった方もいらっしゃいます。

その一方で、位置条例の提出が予定される12月が迫り、与党会派内での締め付けが強まっているのも空気として感じています。

区庁舎移転を巡る駆け引きは、本当に佳境になってきました。

 

この間、今までにないペースで街頭に出て宣伝活動を行っている中で、私自身が実感したこ とがあります。

それはいかに多くの区民が、この区庁舎移転計画に怒っているかということ です。一昨日も亀有での街頭宣伝中に高齢の女性の方が話しかけてきて、「年金暮らしだけ ど月 5 万円では家賃にもならない。生活保護を申請したのだけど一向に区から返事が来な い。その一方で 700 億円もかけて区役所は立派にするなんて、本当に怒っています」という 話をされて行きました。

ポスターを貼らせてくださいと、恐る恐るお願いしに入ったお店でも、「いいよ貼っていき なよ」という方と「ごめんね~自分も反対なんだけどいろんなお客さんが来るから...」とい う方とが大半で、区庁舎移転に賛成だという声はほとんど聞きません。なかには「もっと目 立つところに貼りなさいよ」と言ってその場で裏に住んでいる大家さんを説得して、真正面 に一番いい場所に貼らせてくれた居酒屋のママさんもいました。

それから、皆さんにポスティングしてもらっているチラシには私の携帯番号が書かれている のですが、毎日のように電話がかかってきます。その多くが、一言目に「止めるなんて言っ たってもう決まっちゃったんでしょ?」とおっしゃいます。それで「いや、まだ議会を通っ てないんですよ」という説明をすると「それなら私も反対です!どこにどうやって声を届け ればいいんですか?」というふうに聞いてくれます。

 

このように、実感としてはおそらく 8 割方の区民がこの区庁舎移転計画に対して不満を持 っていて、しかし多くは広報かつしかなどを通じて「もう決まった」ことだと思い込まされ て、反対の声を封じられている。そのような状況です。

しかも区庁舎の移転先である立石駅北口地区の再開発地域の住民の方が、まだ 4 割近く立 ち退きの条件に同意していません。 このような状態で区役所移転の位置条例を区議会に提出することなど、決してあってはなり ません。

 

私は、区役所を建替えることに反対しているわけではありません。

しかしまだ使える庁舎を壊し、立石の街並みも取り壊して、駅前に巨大なビルを建てるとい うこの計画からは、立石の、そして葛飾の街に対する敬意も、そして今の葛飾を作ってきた 先人たちに対する敬意も、微塵も感じられません。

 

私は、区庁舎移転を含む再開発で立ち退きになる立石駅前のエリアに住んでいます。

前の決起集会や街宣などでも繰り返しお話ししているのですが、本当に、この立石の街の懐 の深さ、気取らなさ、人の温かさによって生かされていると、日々実感しています。

何かをはじめたいとき、あるいは何か困ったとき、手を差し伸べてくれる人が必ずいる。 お店とお客さんとの境界線があいまいで、だれも時間や空間を独り占めしようとしない。

それが私の知っている立石という街です。

再開発のお題目は安心安全な街づくりや利便性の向上、にぎわいの創出などですが、今の立 石には、再開発で生み出されるものとは全く異なる、安心安全や利便性やにぎわいがありま す。

 

そして今の立石という街の懐の深さを生み出しているものは、これまで多くの人がこの街の 中で働き、遊び、暮らしながら積み重ねてきた時間です。

今の街並みや文化の一つ一つに、こうした時間のかけらが刻み込まれています。

今の立石の原型を作ったのは、100 年前の 1923 年に起きた二つの出来事。関東大震災と、 荒川放水路の完成です。被災した人々は新しく整備された荒川沿岸地域で、生活と産業を再 構築しました。中小の町工場がたくさん集まり、労働者の人口が急増しました。

一方で荒川の開削工事に従事した朝鮮出身の方々の食文化である豚もつ料理が、下町ナイズ ドされて定着しました。戦後には GHQ の兵士が飲んでいたウイスキーハイボールを真似 て、より安価な焼酎ハイボールが生み出されました。

戦後の闇市からは仲見世などの商店街が生まれ、今も安くて美味しいお惣菜屋さんが数多く 営業しています。空襲で玉ノ井や亀戸の花街から焼け出されてきた人々によって赤線街も作 られ、その当時の建物もいまだに残っています。

他にも中川との関係性など、様々な経緯によって今の街が形づくられてきました。

 

一方で今の葛飾区役所も、名建築です。佐藤武夫という日本建築学会の会長まで務めた方の 作品なのだそうですが、大好きな商店街を抜けた先にある、桜並木との調和が美しい現庁舎。 今の時期は紅葉もきれいです。ヒューマンスケールで、威張らず気取らない今の区役所、葛 飾区らしくて、私はとても好きです。

 

さて、青木区長は、商店街を潰して、もつ焼き屋さんを潰して、お惣菜屋さんを潰して、の んべ横丁を潰して、住民を追い出して、名建築の区役所も取り壊して、桜通りのにぎわいも 奪って、駅前にタワーマンションと高層の区庁舎を建てて、いったい葛飾をどうするつもりな のでしょうか?

青木区長は人情という言葉をよく使いますが、いったい葛飾の歴史を、下町文化を、人情を、 どういうものだと理解しているのかぜひ聞いてみたい。区長が葛飾の何を価値として捉えて、 何を将来に残したいのか、それが全く見えません。

私はこれからも立石に、葛飾区に住み続けたいです。

私は立石の米屋で働いていますが、お 米がとれる田んぼは、長い年月をかけて耕されてきたからこそ、表土の部分が微生物やミネ ラルに富んだフワフワの黒土になって、稲が育つことができます。 表土をはいでしまった土に稲を植えても育ちません。

同じように、積み重ねてきた歴史や文化の文脈を断ち切ってしまった街に、大きなハコモノ だけ建てても、決して持続可能な街にはなりません。

 

50 年後、100 年後の葛飾になにを残していきたいのか、それを、今を生きる私たち区民と区 議の皆さんとでしっかりと議論して、これからの葛飾の街づくりをしていきませんか?

そのためにも、葛飾の将来を考えない今の区庁舎移転計画は、いったん立ち止まるべきです。

今日はその声を、皆さんと一緒に直接、区長に届けに行きたいと思いますので、ぜひ最後ま でお付き合い宜しくお願い致します。

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