立石北口再開発計画Q&A
立石駅北口では、商店街を取り壊して127mと77mの2棟の超高層ビルを建設する、再開発事業が迫っています。
また、南口側でも、東地区と西地区の2つの地区で、それぞれ125mのタワーマンションを建設する再開発が計画されています。
戦前はおもちゃ工場の街、戦後は闇市や赤線街として栄え、しだいに安くて美味しいお惣菜屋さんや飲食店が並ぶ今の形へとなっていった立石の街。
のんべえの聖地としての呼び声も高いが、
街の未来は果たして…?
Q.再開発されることはもう決まったの?
A.いいえ、まだ決まっていません。
現在駅前で行われている工事は、再開発に先行して進められている京成押上線の高架化工事です。立ち退いたお店も、この高架化工事の用地買収によるものです。
一方で、立石駅周辺の3つの再開発事業(上図参照)のうち、南口東地区・南口西地区の2つはまだ正式決定前。一部の推進派地権者と協力企業でつくる準備組合が、勝手に騒いでいるだけの段階です。
一方の北口地区では正式な組合が立ち上がり、手続き上は正式決定されてしましました。しかし、次項を見てもわかるように事業収入の約3割を占める葛飾区役所の再開発ビルへの移転が議会で可決されなければ、事業を進めることは事実上不可能です。
区庁舎が来なければ、再開発はできません。
Q.民間事業だと聞いたけど、葛飾区政と関係あるの?
A.建前は地権者と開発業者(デベロッパー)が進める民間事業ですが、
実際には費用の7割が税金でまかなわれます。
立石駅北口地区再開発の総資金932億円のうち、
国や区の補助金、そして再開発救済のために
区が庁舎を移転する費用も含めると、
税金投入額は7割の648億円に上るのです。
区民一人あたりの負担額は11万円を超えます。
さらに今後、現在の物価高騰や人件費高騰が
反映されれば、総事業費も税金投入額も、
さらに跳ね上がる可能性があります。
そして、現在このような再開発事業が
立石駅北口を含め、
葛飾区内の5箇所もで同時に進んでいるのです。
区による税金投入額は、
合計で数千億円規模になるでしょう。
Q.地権者は得をするってホント?
A.一部の大地主は、税金で貸家を建替えて、より高額な家賃で貸せるようになるため、確かに得をします。区はこうした、立石に住んでもいない一部地権者を抱き込んで
「発起人」に祭り上げ、準備組合を作らせたのです。
しかし、ほとんどの地権者にとっては終の棲家を追い出され、元の半分ほどの広さで高額な管理費などもかかるタワマン暮らしを強いられるか、いやなら出て行かざるを得ません。
一方、デベロッパーからしたらどうでしょうか。
通常、マンションを建てるには土地や資金を自分で用意しなければなりません。
しかし再開発事業では、「公共の福祉」の名の下に、申し訳ばかりのビル床と交換で反対する地権者の土地も巻き上げられ、資金は大半を行政が用意してくれるのです。
あとは採算のとれる高さのマンションを建てて、右から左へ流すだけ莫大な利益になります。
マンションが売れない時のリスクは
地権者も共同で負うため、
再開発組合が破綻して地権者が「賦課金」を
取られたり、年金口座を
差し押さえられた例もあります。
「原資は税金で、
責任とリスクは地権者に、
利益はデベロッパーに」これが再開発の本質です。
Q.そうは言っても、今のままじゃ防災上危ないよね?
A.その通りです。そして実は、立石の防災化を最も阻害しているものこそが再開発計画なのです。
立石の街づくりに向けた議論が始まったのは1997年。
しかし、初期の段階で葛飾区側が「市街地再開発事業」という手法と、巨大なタワーマンションの計画を持ち出してきたために、地権者は賛成・反対で分断され、それ以上の議論が生まれなくなってしまいました。
また、北口地区の中心街では2001年に区が都市計画決定をしてしまって以来、地権者が自由にリフォームや、土地の売買をすることもできなくなってしまいました。
結果、24年もの間、立石駅北口は再開発計画が重しとなって、進むこと退くこともできない状態が続いてきたのです。
ちなみに、立石駅北口地区に投入される税金額を建物
1軒当たりで割ると、4億3000万円にもなります。
葛飾区内には立石駅前以上に危険な
木造密集地域がたくさんありますが、
それらの危険家屋のリフォームに区が出す
助成金の額は、1軒当たり160万円です。
再開発にかける税金のほんの数%でも
リフォームの助成に充てていれば、
とっくに安全な街ができていたのでは
ないでしょうか?
最後に
防災化とは何のためにするものでしょうか?
継承したい文化や、残したい記憶があるからこそ、行うものではないのでしょうか?
護りたいものがあるからこそ、変えるべきところも見えてくる。
街を護ってきた住民やお店を追い出し、歴史を紡いできた建物を全て壊して、
どこにでもある『安全な街』をつくることに、なんの意味があるのでしょうか?
数十年後、ビルが老朽化したとか時代に合わないなどと言って壊しても、失われた商店街や歴史は戻って来ません。
区民の犠牲を伴いながら、
引き返せない道へとこのまま突き進むのか、
いったん立ち止まって本当に護りたいものをみんなで残そうと話し合う道へと進むのか、
分岐点は今です。